こんにちは、心の時代をリードする、マインドームインストラクターの荒牧明楽です。
脳と心の仕組みをマスターし、nTechを活用したセッションで自分探しのお手伝いをさせてもらっています。
本日のテーマ
みなさんは、人を信じやすいですか?
それとも、あまり信じられませんか?
今回このテーマを書きたいと思った背景には、この漫画があります。
『4年生』というタイトルの漫画です。
漫画サイトピッコマで読むことができます。▶︎4年生をみてみる
簡単にどんな作品か紹介します。
主人公は、小学校で4年生を担当することになった新任教師のチョン・ミリン。
ある日、ミリンのクラスで他の生徒よりも遅れがちなタヌがおしっこを漏らしてしまう。
するとその翌日、クラスで一番優秀なウビンがまるでタヌを真似るように授業中おしっこを漏らす事態に。
さらには、ミリンが同級生に暴力をふるった生徒を叱った際には、ウビンも隣の席の子に暴力をふるう。
まるでミリンの気を引こうとでもするかのようなウビンの行動に、はじめは愛情不足で気を引きたいためだと思ってウビンを構うようになるが、その行動はどんどんエスカレートしていく。
全30話で完結する短い作品ですが、そのストーリーには考えさせられるシーンが数々登場します。
教育関係者はもちろん、多くの方に読んでいただきたい作品です。
個人的にはちょっと気になる表現もあったりしましたが、それも含め議論したいです。
この作品の中で、主人公のミリンが生徒に虐待をしたとメディアに報道されて炎上します。
ミリンの言葉を信じず失望し疎遠になった彼氏が、事実がわかった後で謝りにくるのですが、復縁にはならず。
(ネタバレすみません)
信じるとはどういうことでしょうか。
辞書では、少しの疑いも持たずにそのことが本当であると 思うこと。 自分の考えや判断が確実であると思う、 確信すること、などが載っていました。
「私はあの人を信じている」や「自分を信じて」なんて言葉はよく使われていますよね。
私も「believe(信じる)」という言葉が好きで、メールアドレスにもよく使用していました。
私は昔極度の人間不信に陥り、人間なんて私を含め全員いなくなればいいと思う時期もありました。
そんな私が、今では人間大好きです♪
そうなれたのは、信じるとは何か、何を信じたらいいのかがわかったからです。
「直接自分の目で見るまで信じない」
とか
「本人から直接聞くまで信じない」
と言いますが、どれだけやっても100%信じることは不可能です。
なぜならば、人は1分1秒たりとも同じ景色をみたことがありません。
その人が見て聞いて体験している現実は、その人だけが認識しているもの。
それなのに、わかってほしいと共感を求めてしまう。
共感を求めることがいけないということではなく、自分という存在を疑わないまま共感できると信じていることが、結果人間不信を生んでしまいます。
その状況を是正するために、みんな違うことがあたりまえとして「みんな違って、みんないい」でいると、「違うのだから、仕方ないじゃん」と半ば諦めにもつながります。
諦めるのであれば、徹底的に諦めること。
中途半端に絶望するのではなく、徹底的に絶望すること。
そして、裏切られて絶望したとかいうレベルではなく、究極の絶望までいくこと。
究極の絶望とはなんでしょうか。
自分と自分が生きるこの宇宙が実在しない
これはものすごい絶望じゃないでしょうか。
一生懸命頑張って生きてきた人生が、実は幻想に過ぎなかった。
喜びも悲しみも
楽しかった思い出も
心から愛している人も
苦しめられて憎い相手も
全部フィクション(偽物)で、今もその夢の中にいる。
映画マトリックスを観たことがある人はイメージしやすいかもしれませんね。
フィクションである現実世界には、信じられるものは1つもありません。
では何を信じたらいいのか。
それは、自分も自分が生きるこの宇宙も実在しないこと。
信じるためにも、しっかりなぜそう言い切れるのかを理解すること。
中途半端に疑うのではなく、疑って疑って疑って疑いきれない真実まで追究すること。
まずはここが何よりも重要なところなのですが、過去にたくさんインプットしてきた知っている世界と、5感はなかなか厄介です。
私もだいぶ苦労しました。
手放すには専門的な技術が必要ですが、私はnOU(nTech Online Univ. )をお勧めします。
一度すべてを手放して、本当は実在しない世界を認識できたとき
すべての存在ひとつひとつが尊厳であり奇跡だと認識できます。
何が起ころうとも、尊厳として認識できること。
それが本来の「信じる」ことだと私は思います。
誰もが尊厳関係を結べる社会。
真のダイバーシティ&インクルージョン創建のため
みなさんとたくさん議論を楽しみたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^^)