こんにちは、荒牧明楽です。
本日は、「夢」について語ってみたいと思います。
「夢」という単語にどんなイメージを持たれるでしょうか。
大きな夢がある人はワクワクするでしょうし
夢がない人は少し不安な気持ちになるかもしれません。
夢があるから「良い」「悪い」というジャッジを働かせる必要はありません。
そもそもどう定義するか、から始まります。
私にとって夢を持つということは
未来に希望を持つということ。
そして力強く持てば持つほど、エネルギーが生成されて夢は具現化されます。
そのエネルギーはガソリンのようなものなので、夢を持って行動している人はモチベーションが継続され動き続けることが可能です。
みなさんの周りにも、活動的な人はきっと夢を持って行動されている人が多いはず。
行動しなくなったときは、夢を失ったときか叶ったときです。
よく「やりたいことが分からない」という相談を受けます。
夢と聞くと「オリンピックで金メダルをとる!」とか大きなことをイメージされやすいですが、まずはどんな「未来への希望」でもいいんです。
あとはその夢の大きさによって、どれだけの人が巻き込まれるかが決まります。
I have a dream!
私には夢がある!
こう言われたら、「え?なになに?」と聞きたくなります。
これはキング牧師の名で知られている、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説で叫ばれた言葉です。
彼は非暴力主義で、人種差別の撤廃と各人種の協和を提唱し続け、多くの支持を得ました。
差別がない平等な世の中
こう聞くと、そりゃあそんな世界は理想だよね。と思います。
夢には夢を持つまでのストーリーがあります。
そのストーリーの起点は、怒りやこだわり、原体験などがありますね。
私は夢を持つこと、そして持ち続けることに最も必要な要素は、内発的動機からスタートしているかだと思っています。
キング牧師は6歳のとき、近所のお友達(白人)と遊んでいると、彼らの母親から「黒人とは2度と遊ばせません」と言われ、ショックを受けています。
これが人生で初めての差別体験であり、ショックが大きかったそうです。
それからも黒人だからというだけで、白人から卑下に扱われ怒りを感じてきました。
これがキング牧師にとって、原体験に基づく「人種差別の撤廃と各人種の協和」の内発的動機です。
自分が今持っている夢、夢に向かっておこなっている行動が内発的動機とつながっていなければ、その夢には消費期限があります。
差別はしてはいけないから(法律や常識でそういわれているから)という動機からスタートした差別撤廃運動と、内発的動機からおこなう差別撤廃運動とではまったくエネルギーが変わってくることは分かりますよね。
誰かに認められるための夢ではなくて、自らの原体験からつながった夢は錆びません。
たとえそれがどんな夢であろうと、心の底から湧き上がり、ワクワクする夢には誇りを持つべきです。
私はトランスジェンダー(生まれたときの身体の性別と自分が感じる性別が一致しない)として生まれ、現代のように性の多様性が一般化していなかったので、学生時代は苦労しました。
14歳で自分らしく生きることを諦め、残りの人生100%演技で生きると決断して生きた時期がありました。
しかし、「性別に囚われず、自分らしく生きたい」という気持ちが勝り、のちにそれは自分の問題だけではなく、すべての人がそうあれば良いと思うようになり、次第に夢へと変わりました。
原体験からくる内発的動機だからこそモチベーションは維持できるし、多くの人の心に届きます。
夢を探すことは、自分探しと似ていると思うんです。
過去に自分がどんな感情を感じてきたのかを振り返ると、やりたいことが見つかることがあります。
混沌とした世の中だからこそ、一人ひとりが夢を持ち応戦し合える関係性づくりができたらいいなと思っています。